開国と辞書編纂(独語篇)(2026/3/7)
- 乙原李成/Otohara Risei
- 12 時間前
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日本におけるドイツ研究は、他の言語と同じく蘭学の延長線上にあった。1810(文化7)年には藤林普山により、『波留麻和解』の縮刷版である『訳鍵』に付した『蘭学径』で、ドイツ文字が紹介された。文政年間に滞在した医師のシーボルトが蘭学者に与えた影響は大きく、自身も『日本』を公表し、著名な日本学者のひとりになった。1861(万延元)年日普修好通商条約が調印されると、翌年には洋書調所が『官版独逸単語篇』を出版。
医学の分野では、適塾の緒方洪庵により、オランダ語からの重訳で、ドイツ人医師の全集ものが翻訳されていた。(『扶氏経験遺訓』全30巻)1871(明治4)年には、東京大学医学部(当時)にお雇い外国人のホフマン、ミュラーが採用された。そのためか、ドイツ語学習熱が高まり、中村雄吉『普語箋』(万笈閣)、森田靖之『独逸七以呂波』(文苑閣)などが出版された。独和辞典は同年、司馬凌海の『和訳独逸辞典』(春風社)などがある。(『復刻明治期独逸語辞典』三修社1981年)
1885(明治18)年には、フランス式軍制をドイツ式に改めた帝国陸軍に陸軍大学校が置かれ、お雇い外国人のメッケルが教官に配属。このときもいくつかの辞書が出版され、小栗栖香平『挿入図書独和字典大全』(国文社)は、その後も明治講習会・南江堂から版を重ねた。
参照
鈴木重貞『ドイツ語の伝来』(教育出版センター1975年)
惣郷正明『目で見る明治の辞書』(辞典協会1989年)
宮永孝『日独文化人物交流史』(三修社1993年)

明治時代の学習参考書の例(ブログ管理人個人蔵)



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