明治の改暦(2026/4/18)
- 乙原李成/Otohara Risei
- 6 日前
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年末になると、書店の店頭に並ぶ「高島暦」。幕末明治に横浜で活躍した実業家、高島嘉右衛門の特技とした易にちなむが、いまの出版物と関係はないらしい。
明治5(1872)年12月3日、突如太陽暦に改暦され、その日は明治6年1月1日になった。大隈重信の伝記などによると、それまでの太陰太陽暦では数年に1度うるう月が発生しており、官僚に払う月給を節約するためだった説がある。審理中の裁判などは、留守政府からの布告により、「太陽暦月日不足ノ分ヲ太陽暦月日ニ引直シ28日ヲ加ヘ其期限ト可相定事」といった措置が取られた。収まらないのは「伊勢暦」を作成、頒布してきた伊勢神宮だったが、維新の混乱もあったのだろう、まだ旧暦の明治2年用の暦からは、大学暦局が発行し始めた。
同時期に、浅草天文台が廃止された。ここには高橋至時、景保親子が天文方に出仕していた。それまでの天文学の知見を入れた天保の改暦が、天保15(1844)年に行われた。浅草天文台で使われた測量器具は、開成学校(東京大学の前身のひとつ)に引き渡されたという。
天文台が再開されたのは明治11(1878)年、本郷の東京大学理学部(当時)に附属した。
5年後には麻布区飯倉に東京天文台が開設された。市販の暦書は、頒暦商社が一時取扱い、明治16年用の暦からは神宮司庁が発行した。
参照
国立天文台ホームページ-東京天文台の歴史
『憲法類編 第27』(村上勘兵衛1873年)
円城寺清『大隈伯昔日譚』(立憲改進党1895年)
『大隈侯八十五年史 1』(大隈侯八十五年史編纂会1926年)
『東京市史稿 市街篇50』(東京都1961年)
吉田光邦『江戸の科学者たち』(社会思想社1969年、改題『江戸の科学者』講談社学術文庫2021年)
『東京大学百年史 通史1』(東京大学出版会1984年)

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