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明治大正の出版文化(2023/8/19)

  • 乙原李成/Otohara Risei
  • 2023年8月18日
  • 読了時間: 2分

更新日:2024年4月2日

明治文化研究会という好事家の集まりがかつてあった。大学教授から出版業、古書に一家言もつ人々が江戸明治期の文献を買い集めては復刻し、考証やエッセイを書いては自ら雑誌を創刊、発表の場をつくった。

吉野作造(1878-1933)や宮武外骨(1867-1955)の名はいまでも知られている。

地方出身者が東京で仕事をしていたところ、大正12(1923)年関東大震災という災禍にあって、近代西洋に学んで築き上げた文物が一瞬にして灰になるのを目の当たりにした。そこから生じたノスタルジーが、彼らをかりたてたのだろう。

『明治文化全集』(日本評論社)初版全24巻の刊行、東京大学法学部附属明治新聞雑誌文庫の設立といった功績をのこした。

しかし、時代の変化を意識し、記録していこうとしたのは、明治文化研究会の会員に限らず、災禍もまた、大正12(1923)年に限ったできごとではなかった。

明治41(1908)年暮、日本橋区通1丁目、洋書舶来品を扱う丸善が全焼。隣の洗濯屋から出た火が、改築のための仮店舗に燃え移った。ショーウィンドーを飾っていた革装の各種事典、西洋古典籍が焼けてそこらに投げ出され、紳士淑女を飾るはずの洋物が消火のために水びたしとなったことを、社員だった内田魯庵が記している。

なお、丸善は関東大震災のときにも全焼し、日本に1部しかないような宣教師の手記などを多く失った。

本ブログのテーマに即した形で、「明治大正の出版文化」と題し、近代日本の出版、書籍に関わるできごと、人々の足跡を広く紹介したい。


参考

『国史大辞典 第13巻』(吉川弘文館1992年)のうち、「明治文化研究」「明治文化資料叢書」「明治文化全集」の項

内田魯庵『きのふけふ』(博文館1916年)

内田魯庵、斎藤昌三『紙魚繁昌記 続』(書物展望社1934年)

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