top of page

出版文化の普及の要因(2023/10/7)

  • 乙原李成/Otohara Risei
  • 2023年10月6日
  • 読了時間: 2分

更新日:2025年11月27日

1.印刷技法の発達、2.義務教育による識字率の向上、を挙げてよいだろう。


明治6(1873)年抄紙会社創業(のちの王子製紙)、明治9(1876)年秀英舎創業(のちの大日本印刷)。

江戸時代には主流だった手すきの零細な製紙業は、大資本による近代的な製紙工場にとって代わられた。

木版と墨による製版が、明治以降金属活字と油性インクをつかう活版印刷にとって代わられた。


尋常小学校による義務教育が明治33(1900)年から4年間に、明治40(1907)年から6年間にされ、貧しい家に生まれた児童でも、最低限の教育を受けてから社会に出た。

高等教育を受ける経済力、学力があれば、男女間で差があったものの、男子は帝国大学、女子は師範学校まで進むことができた。

国公立、私立大学の前身である、専門学校令に基づく専門学校も明治末期から大正時代にかけて、都市部の人口増に伴い、数多く設立された。


メディアの発達と読者の増加は車の両輪のようなものである。

『小国民』(明治22(1889)年)、『家庭之友』(明治36(1903)年)、『講談倶楽部』(明治44(1911)年)といった大衆向けの雑誌が次々創刊され、飛ぶように売れる時代になった。


参考文献

文部科学省-我が国の義務教育制度の変遷(2023/10/6閲覧)

https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/05082301/017.htm


寿岳文章『和紙風土記』3版(河原書店1947年)

小川菊松『出版興亡五十年』(誠文堂新光社1953年)

岡野他家夫『日本出版文化史』(春歩堂1959年、原書房1981年)

百瀬孝『事典昭和戦前期の日本』(吉川弘文館1990年)

最新記事

すべて表示
渋谷の書店(3)第一勧銀ビル(宇田川町23-3)のテナント

昭和50年(1975年)3月第一勧銀共同ビルができてすぐ、大阪に本店がある旭屋書店が地下1・2階に出店した。銀座、池袋に続く出店で、2005年8月31日まで営業していた。地下鉄半蔵門線の改札口を出て目の前が店の入口なので、NHKの語学講座のテキストなどすぐ買えたのがありがたかった。平成7年(1995年)には109(通称、マルキュー)にコミック専門店も出店していたという。 閉店後の短期間、パチスロ店

 
 
 
渋谷の書店(2)失われた渋谷古書街(2026/7/11)

令和6年(2024年)東急プラザ裏での営業を終了した渋谷古書センター(道玄坂1-6-3)は、まだヤミ市がのこる昭和22年(1947年)、山路書店の創業がきっかけだった。古書サンエーを始め、複数の書店が2階から地下まで入居する形で、昭和46年(1971年)にいまの建物ができた。東急プラザにあった紀伊國屋書店のついでに立ち寄ると、雑誌雑本、成人図書がひしめきあう店舗に掘り出し物はなく、ただいつも混みあ

 
 
 
渋谷の書店(1)現存最古の大盛堂(2026/7/4)

JR渋谷駅からスクランブル交差点を渡り切ったところに、雑誌と新刊書を売る、こじんまりとしたお店がある。明治45年(1912年)創業とされる大盛堂書店。正富汪洋(まさとみおうよう、1881-1967)の詩、「渋谷の書店」とは、ここのことだろう。かつての渋谷は、与謝野鉄幹・晶子夫妻や竹久夢二など多くの文化人が住み、新刊書店・古書店が宮益坂から道玄坂にかけて数多く営業していた。  大盛堂書店が有名になっ

 
 
 

コメント


©2023 www.hushintyu.com

bottom of page