top of page

内田魯庵以前の丸善(2023/9/23)

  • 乙原李成/Otohara Risei
  • 2023年9月22日
  • 読了時間: 2分

更新日:2025年11月27日

丸善といえば、丸善とジュンク堂が合併したいまでも、国内有数の洋書専門店というイメージがある。(ちなみに、紀伊國屋書店は昭和2(1927)年創業。)

雑誌『学鐙』(『学燈』とも、明治30(1897)年3月創刊)を愛読した思い出をお持ちの方もいるかもしれない。

創業者、早矢仕有的(はやしゆうてき、1837-1901)が慶応義塾で学んだのち創業したことから、福沢諭吉(1835-1901)の影響により実業家となり、さらに東京大学の出版物も引き受けていたことを、社史を読んで初めて知った。

明六社の活動停滞により、文部省が設置した東京学士会院の雑誌発行、社内積立金を元手にした丸屋銀行の設立(ただし、1884年破綻)、インキ販売、革製品(馬具、鞄など)を取り扱う菱屋など、多様な事業を手掛け、明治26(1893)年丸善株式会社に改組した。

『東京大学小石川植物園草木図説』『東京大学予備門一覧』等(書名の東京大学は帝国大学以前の名称)の大学出版物を発行。西洋詩を翻訳紹介した『新体詩抄』(1882)の編者、井上哲次郎、外山正一、矢田部良吉や『日本植物名彙』(1884)の編者、松村任三はいずれも当時から東京大学で教鞭をとった人物。

チェンバーズの『百科全書』改訂版(1883-1885)、ヘボンの『和英英和語林集成』改訂版(1886)を出版するにいたり、ようやく丸善らしい書目が出てくることになる。大学の教科書に使われる原書の輸入もさかんだったという。

福沢諭吉死去の年、店の客だった内田魯庵(1868-1929)を顧問格で入社させたのは、屋台骨を支えるためだったのだろうか。早矢仕家と棟つづきの二階、薄暗く狭い洋書売り場はその後、田山花袋といった作家、寺田寅彦といった知識人に深い印象を残すことになる。


参考文献

田山花袋「丸善の二階」(『東京の三十年』(博文館1917年)収録)

吉村冬彦(寺田寅彦)「丸善と三越」(『冬彦集』(岩波書店1923年)収録)

『丸善社史』(丸善1951年)

岡野他家夫『日本出版文化史』(春歩堂1959年、原書房1981年)


最新記事

すべて表示
渋谷の書店(3)第一勧銀ビル(宇田川町23-3)のテナント

昭和50年(1975年)3月第一勧銀共同ビルができてすぐ、大阪に本店がある旭屋書店が地下1・2階に出店した。銀座、池袋に続く出店で、2005年8月31日まで営業していた。地下鉄半蔵門線の改札口を出て目の前が店の入口なので、NHKの語学講座のテキストなどすぐ買えたのがありがたかった。平成7年(1995年)には109(通称、マルキュー)にコミック専門店も出店していたという。 閉店後の短期間、パチスロ店

 
 
 
渋谷の書店(2)失われた渋谷古書街(2026/7/11)

令和6年(2024年)東急プラザ裏での営業を終了した渋谷古書センター(道玄坂1-6-3)は、まだヤミ市がのこる昭和22年(1947年)、山路書店の創業がきっかけだった。古書サンエーを始め、複数の書店が2階から地下まで入居する形で、昭和46年(1971年)にいまの建物ができた。東急プラザにあった紀伊國屋書店のついでに立ち寄ると、雑誌雑本、成人図書がひしめきあう店舗に掘り出し物はなく、ただいつも混みあ

 
 
 
渋谷の書店(1)現存最古の大盛堂(2026/7/4)

JR渋谷駅からスクランブル交差点を渡り切ったところに、雑誌と新刊書を売る、こじんまりとしたお店がある。明治45年(1912年)創業とされる大盛堂書店。正富汪洋(まさとみおうよう、1881-1967)の詩、「渋谷の書店」とは、ここのことだろう。かつての渋谷は、与謝野鉄幹・晶子夫妻や竹久夢二など多くの文化人が住み、新刊書店・古書店が宮益坂から道玄坂にかけて数多く営業していた。  大盛堂書店が有名になっ

 
 
 

コメント


©2023 www.hushintyu.com

bottom of page