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東京日日新聞をめぐる人々(2023/11/11)
明治5(1872)年2月21日(旧暦)日報社が創刊。早くから鉛活字と西洋紙を使用。創刊の2年後に銀座へ移転した時、すでに8千部を売り上げたという。(『日本新聞発達史』) 戯作者条野伝平(採菊)(1832-1902)、浮世絵師落合芳幾(1833-1904)、貸本業西田伝助(1...
乙原李成/Otohara Risei
2023年11月11日読了時間: 3分
新聞小説ことはじめ(2023/11/3)
先に引用した尾崎紅葉『金色夜叉』は、もともと『読売新聞』に連載された新聞小説のひとつだった。 新聞小説にまつわるエピソードでは、東京帝国大学・旧制一高講師を辞職して東京朝日新聞で連載をもった夏目漱石(1867-1916)が有名だろう。...
乙原李成/Otohara Risei
2023年11月2日読了時間: 3分
言文一致に貢献した人々(2023/10/28)
「貫一は力無げに宮の手を執れり。宮は涙に汚れたる男の顔をいと懇(ねんごろ)に拭(ぬぐ)ひたり。 「吁(ああ)、宮(みい)さんかうして二人が一処に居るのも今夜ぎりだ。お前が僕の介抱をしてくれるのも今夜ぎり、僕がお前に物を言ふのも今夜ぎりだよ。...
乙原李成/Otohara Risei
2023年10月27日読了時間: 3分


博文館の衰退、三菱との比較から(2023/10/21)
明治20(1887)年創業した出版界の雄、雑誌『太陽』や『新青年』で知られた博文館が、昭和の代に入ると見る影もなく衰退。 太平洋戦争敗戦後に分社化した理由のひとつに、三代目館主の大橋進一(1885-1959)の経営能力不足と、それをサポートできる人材に恵まれなかったのが原因...
乙原李成/Otohara Risei
2023年10月20日読了時間: 2分
明治期の伝道史考察(2023/10/14)
グーテンベルク聖書を引き合いにするまでもなく、布教と出版は深い関わりがある。 同じイエス・キリストを信仰の対象としながら、教義が異なるカトリックとプロテスタントは、開国後の日本人にはおおむね同等に受け入れられたといえる。...
乙原李成/Otohara Risei
2023年10月13日読了時間: 2分
出版文化の普及の要因(2023/10/7)
1.印刷技法の発達、2.義務教育による識字率の向上、を挙げてよいだろう。 明治6(1873)年抄紙会社創業(のちの王子製紙)、明治9(1876)年秀英舎創業(のちの大日本印刷)。 江戸時代には主流だった手すきの零細な製紙業は、大資本による近代的な製紙工場にとって代わられた。...
乙原李成/Otohara Risei
2023年10月6日読了時間: 1分
内田魯庵以前の丸善(2023/9/23)
丸善といえば、丸善とジュンク堂が合併したいまでも、国内有数の洋書専門店というイメージがある。(ちなみに、紀伊國屋書店は昭和2(1927)年創業。) 雑誌『学鐙』(『学燈』とも、明治30(1897)年3月創刊)を愛読した思い出をお持ちの方もいるかもしれない。...
乙原李成/Otohara Risei
2023年9月22日読了時間: 2分


宮武外骨の造本(2023/9/16)
宮武外骨(1867-1955)は、江戸から明治の印刷物を利用した編集著作物をさかんに世に送り出した。 明治22(1889)年、『頓智協会雑誌』第28号に、大日本帝国憲法の発布式をパロディにした記事を掲載。 不敬罪で大審院まで争ったのち、挿絵や印刷のスタッフとともに禁固刑をう...
乙原李成/Otohara Risei
2023年9月15日読了時間: 2分


吉野作造の収書(2023/9/9)
吉野作造(1878-1933)といえば「大正デモクラシー」、というくらい、壮年期には本業の大学教授の仕事のほか、いわゆる「民本主義」に関する数多くの執筆、講演をこなした。 40歳(1918年)のときの年間講演回数が38件41回あり、総収入13,989円5銭。帝大教授としての...
乙原李成/Otohara Risei
2023年9月8日読了時間: 2分
関東大震災で失われたもの(2023/9/2)
大正12(1923)年9月1日正午少し前、相模湾を震源域とした推定マグニチュード7.9の地震が発生。 続く余震と火災により、震源に近い神奈川県各地と旧東京市内に甚大な被害を及ぼした。 本所被服廠跡での死者約3万8千人、横浜港や外国人居留地の焼失、鎌倉の津波、根府川駅での土砂...
乙原李成/Otohara Risei
2023年9月2日読了時間: 2分
明治文化研究会(2023/8/26)
大正13(1924)年11月発足。 東京市京橋区尾張町、福永書店に事務局を置いた。 「明治初期以来の社会萬般の事相を研究し、之れを我が國民史の資料として發表すること。」(『新旧時代』1925年2月号)を目的とした。 発足時は以下の会員がいた。(生年順)...
乙原李成/Otohara Risei
2023年8月25日読了時間: 2分
明治大正の出版文化(2023/8/19)
明治文化研究会という好事家の集まりがかつてあった。大学教授から出版業、古書に一家言もつ人々が江戸明治期の文献を買い集めては復刻し、考証やエッセイを書いては自ら雑誌を創刊、発表の場をつくった。 吉野作造(1878-1933)や宮武外骨(1867-1955)の名はいまでも知られ...
乙原李成/Otohara Risei
2023年8月18日読了時間: 2分
東亜経済調査局刊行書目録:2023年9月現在(2023/9/30)
紙で目録をつくるとコストがかかるので、ファイルで公開。 将来的には、所蔵先も含めた総合目録にしたい。
乙原李成/Otohara Risei
2023年8月11日読了時間: 1分
ベーレンドとハック(2023/8/5)
ウィードフェルドの後任として東亜経済調査局を指導したのが、マルティン・ベーレンド(Martin Eduard Theodor Behrend, 1865-1926)。 そして同時期に助手として、フリードリヒ・ハック(Friedrich Hack,...
乙原李成/Otohara Risei
2023年8月4日読了時間: 2分
石川鉄雄の煩悶(2023/7/29)
石川鉄雄(1886-1934)は東京府出身。明治43(1910)年東京帝国大学法科大学法律学科卒業。 大正元(1912)年から第四高等学校(金沢市)教授を約5年務めた。 農商務省臨時産業調査局に一時席をおいたあと、大正7(1918)年南満洲鉄道入社。...
乙原李成/Otohara Risei
2023年7月28日読了時間: 2分
弁理士岡本芳二郎(2023/7/22)
岡本芳二郎(おかもと よしじろう 1868-1942)は美作国津山出身。 津山には古くから国府が置かれ、明治4(1871)年には津山県の県庁所在地にもなった。 明治22(1889)年からドイツに留学し、4年後には法務博士(Juris Doctor)の専門資格を取得。...
乙原李成/Otohara Risei
2023年7月21日読了時間: 2分


ウィードフェルドの赤い糸(2023/7/15)
ウィードフェルド(Otto Wiedfeldt,1871-1926)はドイツ北東部、ザクセン=アンハルト州チュリッツ(Thüritz)に生まれた。 カール・チースと同じ、ザルツベーデルのギムナジウムに学び、ベルリン大学で共にシュモラー(Gustav von...
乙原李成/Otohara Risei
2023年7月15日読了時間: 2分


利用者松岡均平(2023/7/8)
松岡均平(1876-1960)は、元徳島藩士で司法官僚、教育者だった松岡康毅の長男として、東京で生まれた。 明治33(1900)年東京帝国大学法科大学政治学科を首席で卒業。 明治36(1903)年東京帝国大学法科大学助教授を命じられ、その翌年から明治42(1909)年までヨ...
乙原李成/Otohara Risei
2023年7月8日読了時間: 3分
グリュンフェルドとその周辺(2023/7/1)
エルンスト・グリュンフェルド(Ernst Grünfeld 1883-1938)はチェコ、モラヴィア地方のブルノ„Brünn“生まれ。 同姓同名のチェスの棋士(1893–1962)は別人。 兵役に就いたあと、ウィーンで農学、ハレ大学で国家学を学んだ。...
乙原李成/Otohara Risei
2023年6月30日読了時間: 2分
東亜経済調査局の資料組織法(2023/6/24)
岡松参太郎文書に残る書店の請求書から、満鉄名義での個人輸入で洋書を取り寄せていたことはすでに書いた。 さらにドイツ人顧問がいたことで、言語の壁を越えて、洋書を取り寄せやすかったという。 雑誌、新聞、官庁刊行物、会社定款、営業報告書を積極的に収集したが、寄贈に頼ることが多かっ...
乙原李成/Otohara Risei
2023年6月23日読了時間: 2分
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