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舎密から化学へ、窮理学から物理学へ(2026/5/16)

  • 乙原李成/Otohara Risei
  • 5月16日
  • 読了時間: 1分

現在のように諸学が細分化される以前の話。江戸時代後期の蘭学の隆盛から、いまでいう化学や物理学を知るために翻訳出版をした人々がいた。


青地林宗(1775-1833)は松山藩医の家に生まれたが、江戸でマルチリンガルの馬場貞由に鍛えられ、天文方に出仕するまでになった。オランダ語の物理学書を漢文で翻訳した『気海観瀾』(文政10(1827))が、女婿川本幸民(1810-1871)の『気海観瀾広義』によって普及し、日本物理学の祖と称されるまでになった。


宇田川家の跡継ぎ養子である宇田川榕菴(1798-1846)は、早くから『舎密開宗』(天保8(1837))で多くの造語をした。孫弟子にあたる広瀬元恭(1821-1870)は京で病院経営の傍ら蘭学塾をひらき、訳書『理学提要』(安政3(1856))を著した。いま一人の孫弟子村松良粛(1827-1879)も静岡病院長だったが、『登高自卑』(明治5(1872))は海軍兵学寮の教科書に採用されたという。


特筆すべきは、豊後の漢学者帆足万里(1778-1852)。日出藩儒者の余業である写本『窮理通』(安政3(1856))が、のちにフルベッキに評価されたという。


参照

『明治前日本物理化学史』(日本学術振興会1964年)

『洋学史事典』(雄松堂出版1984年)


村松良粛『登高自卑』(ブログ管理人個人蔵)


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