南満洲鉄道株式会社が日露戦争の結果設立された国策会社だったのはよく知られている。
小林英夫によれば、本格的にロシア調査が始まったのは、第一次世界大戦中にロシア革命が起きてからだという。
大正11(1922)年ブラゴベシチェンスク図書館から持ち出されたロシア陸軍極東軍管区旧蔵書約2万冊の購入。
翌年モスクワで開催された博覧会への出張を兼ねた、ソビエトの現地視察と約千冊の文献購入。
これらは、庶務部調査課でロシア調査の責任者だった、宮崎正義(1893-1954)を中心に行われた。
集めた文献を取捨選択し、『露文翻訳調査資料』『露文翻訳労農露国調査資料』といった叢書が出版された。
日本人だけでなく、日本語ができる多くの白系ロシア人が翻訳にかかわったことは想像に難くない。
東清鉄道のターミナル駅だったハルピンには、明治41(1908)年から満鉄哈爾浜事務所がおかれた。
南満洲鉄道株式会社と東清鉄道の連絡運輸の折衝とともに現地調査を行い、満洲国建国後は北満経済調査所になった。
東亜経済調査局は、和漢欧文の資料を編集した『経済資料』(1915年創刊)を、関東大震災発生まで定期刊行していた。
早くも第1巻第1号から、露西亜の経済事情を掲載している。
また、『世界製鉄業 露西亜製鉄業』(1919年)は英独仏露の文献を参照して書かれた。
東亜経済調査局の旧蔵書は、アメリカ議会図書館と、日本の国立国会図書館に分かれて現存している。
この蔵書は戦争末期に福島高等商業学校、東京の玉川学園に疎開させていたもの。
連合軍総司令部に接収されるか、閉鎖機関整理委員会が小石川区春日町の倉庫に保管したかで、行き先が分かれた。
例えば、国立国会図書館では、次のようなロシア語の満鉄刊行物を所蔵している。
Kniga o Port-Arture(Iûmzhd,[1940])<請求記号 GB441-25>(関西館)
Восточное Обозрение(ЮМЖД)<請求記号 Z51-R627>1:1939.10/12 -13:1942.10/12(関西館)
この洋書と洋雑誌は福島に疎開していて、接収をまぬがれたものである。
参考
『閉鎖機関とその特殊清算』(在外活動関係閉鎖機関特殊清算事務所1954年、クレス出版2000年)
山田豪一『満鉄調査部』(日本経済新聞社1977年)
原覚天『現代アジア研究成立史論』(勁草書房1984年)
大内直之「満鉄資料の接収」『現代の図書館』(日本図書館協会)1986年6月
飯田和子「くずのようなものから」『国立国会図書館月報』(国立国会図書館)1987年3月
「満鉄調査部関係者に聞く 20」『アジア経済』(アジア経済研究所)1987年9月号(『満鉄調査部』(アジア経済研究所1996年)所載)
小林英夫『満鉄調査部』(平凡社2005年)
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