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社会主義思想の広まり(2023/12/23)

乙原李成/Otohara Risei

文明開化とともに西洋の文物が取り入れられると、さまざまな政治思想も伝わった。

明治初期の自由民権運動と、社会主義または無政府主義は、同時並行で知識人の間に広まった。

『明六雑誌』(報知社)第2号(1875年3月)で、加藤弘之が「コムムニスト党」と記したのが、用語の初出とされる。

明治14(1881)年 明治十四年の政変と同年。

『六合雑誌』(六合雑誌社)第7号(1881年4月)に小崎弘道「近世社会黨ノ原因ヲ論ズ」が掲載された。

翌年にはウールセイ(Woolsey, Theodore Dwight, 1801-1889)の『古今社会党沿革説』(弘令社出版局1882年)が翻訳出版。

いずれもマルクスの名前を紹介した初出とされる。(同じ原書を使用したという。)

明治22(1889)年大日本帝国憲法発布、翌年第1回帝国議会開会。

それと同時期に、『萬朝報』記者の斯波貞吉が、『国家的社会論』(富山房1892年)にて文献をひろく紹介。

さらに『国家学会雑誌』(国家学会)第7巻第72号(1893年2月)、第7巻第74号(1893年4月)の2回、

「カル、マルックス」の剰余価値学説が、ドイツ語教師の草鹿丁卯次郎によって紹介された。

明治27(1894)年日清戦争開戦。

同時期に社会運動が広まり、日本初の公害とされる足尾銅山問題も明らかになった。

明治37(1904)年日露戦争開戦。

『萬朝報』から離れた堺利彦、幸徳秋水らによって、『平民新聞』が創刊、非戦論を掲載。

日露講和後の約1年間、治安警察法(1900年)に基づく解散まで、日本社会党が存在した。


参考

日本語史研究資料 『明六雑誌』第2号(2023/12/22閲覧)

石川旭山(三四郎)、幸徳秋水「日本社会主義史」『平民新聞』(平民社)第2号-第57号(1907年)

(『明治文化全集』第21巻(日本評論社1929年)、改版第6巻(日本評論社1955年)収載)

木村毅「明治前半期に於けるマルクス認識の過程」『明治文化研究論叢』(一元社1934年)

『明治文化全集』第21巻(日本評論社1929年)、改版第6巻(日本評論社1955年)

『明治文化全集』第15巻(日本評論社1957年)

渡部義通, 塩田庄兵衛『日本社会主義文献解説』(大月書店1958年)

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