岡松参太郎文書に残る書店の請求書から、満鉄名義での個人輸入で洋書を取り寄せていたことはすでに書いた。
さらにドイツ人顧問がいたことで、言語の壁を越えて、洋書を取り寄せやすかったという。
雑誌、新聞、官庁刊行物、会社定款、営業報告書を積極的に収集したが、寄贈に頼ることが多かった。
日本国内では鉄道院や三井銀行などから。外国の官庁や企業に寄贈を依頼するときは英独仏の言語別の便せんを用い、印刷した文面ではなく手書きで、相手に読んでもらえるよう工夫した。
寄贈してもらうだけでなく、「東亜経済調査局設立ノ趣旨」を日英独仏の4か国語で作成して配布し、存在をアピールすることも欠かさなかった。
そのような国内外でのやり取りと、入手できた資料はそのつど記録して、図書室とは別に記録室に保管していたが、分類して整理しようとしても追い付かず、局員を悩ませた。
分類方法は大きく12の分類に分けたあと、国別、さらに必要に応じて細分類した。
受入記録の帳簿、著者別のカード目録とは別に、この分類別にカードを採った。
東亜経済調査局の特徴的な資料群に新聞切抜があり、図書の発行よりもタイムラグが少なく、特定の事物を追いかけるとき、使いようによっては便利だったという。これもカードを採った。
ただし、ドイツ人顧問に記事の選択をまかせると、アジア関係の記事ばかり選ぶので困ったという。
参考文献(岡松参太郎文書)
『記録分類』(1908年)
『東亜経済調査局設備一覧 1910年6月24日』(1910年)
『在調査局書類 大正元年10月調』(手稿、1912年)
日柳彦九郎『将来ノ局務ニ対スル余ノ希望』(1913年)
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