グーテンベルク聖書を引き合いにするまでもなく、布教と出版は深い関わりがある。
同じイエス・キリストを信仰の対象としながら、教義が異なるカトリックとプロテスタントは、開国後の日本人にはおおむね同等に受け入れられたといえる。
いまでも日本の市区町村のなかに神社仏閣、カトリックとプロテスタント、正教会、モスクが混在している。
キリスト教伝道略年表
1862年、横浜、カトリック山手教会設立<カトリック>
1863年、横浜、ヘボン<長老派教会>、私塾開校(のちの明治学院)
1865年、長崎、大浦天主堂設立、信徒発見<カトリック>
1865年、横浜、矢野隆山、福音書重訳、ジェームズ・バラより受洗
1868年、太政官による五傍の掲示「第三札 切支丹邪宗門ノ儀ハ堅ク御制禁タリ」云々
1870年、東京、築地A6番女学校開校(のちの女子学院)<長老派教会>
1870年、横浜、フェリス女学院開校<改革派教会>
1871年、ゴーブル<パブテスト>による『摩太福音書』翻訳
1872年、横浜、横浜海岸教会設立<日本基督公会>
1873年、横浜、捜真女学校開校<パブテスト>
1874年、東京、女子小学校開校(1878年東京に耕教学舎、その翌年横浜に美會神学校開校、のちの青山学院)<メソジスト派>
1875年、京都、同志社英学校開校(のちの同志社大学)<改革派教会>
1875年、神戸、タルカルト<会衆派教会>とダッドレー、神戸ホーム開校(のちの神戸女学院)
1876年、北海道、札幌学校を札幌農学校に改称、クラーク教頭就任<札幌独立基督教会>
1876年、熊本、熊本バンド発足(のち同志社大学に合流)<会衆派教会(日本組合基督教会)>
1880年、『新約全書』(米国聖書会社)発行
キリスト教をはじめとする一神教の特徴のひとつに、排他性を挙げてよいだろう。
初期のイエズス会が後発のフランシスコ会の身なりをさげすんだり、十字軍やレコンキスタのようなイベントを繰り返さずに済んだのは、日本人にとって幸いだった。
参考
日本聖書協会ホームページ(2023/10/13閲覧)
https://www.bible.or.jp/
Daiji Itchikawa(市川代治)"Die Kultur Japans."(Curtius, 1907.)(邦訳『日本の文化』(吉原努2022年))
唐沢富太郎『図説近代百年の教育』(国土社1967年)
『世界の歴史 8』(中央公論新社2008年)(中公文庫)
『世界の歴史 10』(中央公論新社2008年)(中公文庫)
渡辺京ニ『バテレンの世紀』(新潮社2017年)
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