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  • 乙原李成/Otohara Risei

日本人バウムフェルド(2023/6/10)

ヘルマン・バウムフェルド(Hermann Baumfeld 1885-1970?) は、オーストリア=ハンガリー帝国のウィーンに生まれたユダヤ教徒。

パッツェル商業専門学校„Handelsschule Patzelt“卒業。

1908年来日するまでは、イギリス領マルタでオランダの雑誌„Neerlandia”に商況を報告していた。

南満洲鉄道株式会社入社、東亜経済調査局助手として資料整理やドイツ語講習等に従事。

1910年からドイツ東洋文化研究協会(OAG)会員、OAGに登録した居住地は、麻布区富士見町。

1917年ごろ日本人カネコ(日本語表記不明、1893年生?)と結婚。

1923年関東大震災発生時は、丸ビルにあった東亜経済調査局で勤務中に被災。

同年末休暇を取り、夫婦でサン・フランシスコへ避難。

1926年三菱合名会社資料課(のちの三菱経済研究所)に移り、英文雑誌"Monthly circular"の翻訳などに従事。

東亜経済調査局から移っていた松岡均平、佐倉重夫とともに仕事をした。

その頃には日本語も上達し、「私、木原といいます」とあいさつして、初対面の人を驚かせたりもした。

1929年長女オクタヴィア(Octavia Beatrice Baumfeld)誕生。

横浜市中区山手に住んだあと、太平洋戦争中は軽井沢へ疎開。

終戦後に三菱経済研究所が連合軍総司令部経済科学局(GHQ/SCAP ESS)に接収されたため、そのままそこで働いていた。

東京裁判で訴追された、星野直樹の証人に立ったこともあるという。

1959年時点で、品川区西戸越1丁目930番地に住所登録。

1961年頃から1970年まで東京都港区三田にあった高級アパート、三田東急アパートに住み、そこで亡くなったと考えられる。

参考文献

Ancestry.com(無料部分のみ閲覧)

https://www.ancestry.com/

Kaneko Baumfield(2023年6月9日閲覧)

https://www.ancestry.ca/genealogy/records/kaneko-baumfield-24-yw696z


Digital bibliotheek voor de Nederlandse letteren(DBNL)

https://www.dbnl.org/

Neerlandia. Jaargang 12(1908)(2023年6月9日閲覧)

https://www.dbnl.org/titels/titel.php?id=_nee003190801


Meiji Portraits

http://meiji-portraits.de/

Hermann Baumfeld(2023年6月9日閲覧)

http://www.meiji-portraits.de/meiji_portraits_b.html#20090527093402531_1_2_3_111_1


OAG Mitteilungen (2023年6月9日閲覧)

https://oag.jp/books-cat/oag-mitteilungen/

Mitteilungen der Deutschen Gesellschaft für Natur- und Völkerkunde Ostasiens. Band.14(1911), Band.16(1914)


Stanford University Digital collection, Survey of race relations.(2023年6月9日閲覧)

https://digitalcollections.hoover.org/objects/56290/survey-of-race-relations-records

Box.35 No.252: "East and west sometimes do meet, as marriage of occident and orient shows."


Wien Geschite Wiki,Handelslehranstalten.(2023年6月9日閲覧)

https://www.geschichtewiki.wien.gv.at/Handelslehranstalten


『東亜経済調査局概況』(東亜経済調査局1921年)

佐倉重夫「三菱経済研究所の活動概況」『びぶろす』第2巻第12号(1951年12月)

"The Japan Times Directory."1959,1961,1970/1971(Japan Times, Ltd.)

嘉治隆一「初対面から結婚まで」『松方三郎』(共同通信社1974年)

『三菱経済研究所六十年史』(三菱経済研究所1981年)

宮川隆泰「佐倉重夫さんのこと」『専門図書館』通号112(1986年)

大堀聡『心の糧』(銀河書籍2020年)

市川代治『日本の文化』(吉原努2022年)(非売品)


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