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  • 乙原李成/Otohara Risei

新聞小説ことはじめ(2023/11/3)

先に引用した尾崎紅葉『金色夜叉』は、もともと『読売新聞』に連載された新聞小説のひとつだった。

新聞小説にまつわるエピソードでは、東京帝国大学・旧制一高講師を辞職して東京朝日新聞で連載をもった夏目漱石(1867-1916)が有名だろう。

逆にもともと新聞記者から作家・脚本家として一本立ちした、岡本綺堂(1872-1939)のような例もある。

新聞小説がどのように始まったか調べてみると興味深いエピソードを再発見できたので、ここに紹介したい。


すでに検証され、否定されている説だが、明治30(1897)年『早稲田文学』が連載した文学年表の「明治9年11月」の記述が有力だった。

「此の頃『絵入』に「金之助の話」と題し、虚実混合の物を載し好評、これ新聞小説の嚆矢なり」(第1次第2期33号(1897年5月)24ページ)

記者だった野崎左文が、「(絵入新聞)記者の前田夏繁氏が明治11年9月に(中略)「金之助の話」といふ三分の事実に七分の潤色を加へた続き物を載せ始め」と訂正した。

さらに英文学者で日本文学研究者の柳田泉は、以下の通り確認した。

『東京絵入新聞』明治11(1878)年8月21日から掲載、「28日一旦休掲」、9月3日から11日までで終了。

さらに明治10年頃には2、3回の続きものは毎日掲載されていたと回想している。


その裏付けとなる一例が、仮名垣魯文が明治8(1875)年11月創刊した『仮名読新聞』(仮名読新聞社)。

「野魔猫(やまねこ)おひと傀儡(しなだま)手箱」「花裳柳絮綻(はなごろもやなぎのいとのほころび)」「鳥追いお松の傳」を明治10年から翌年初めにかけて掲載。

新聞小説を改題して出版した『高橋阿伝夜叉譚』(金松堂1879-1880年分冊刊行)はよく売れたという。


現在、最初の新聞小説とされるのは、『東京平仮名絵入新聞』(絵入新聞社)に明治8(1875)年11月28日から3日間掲載された「岩田八十八の話」。

掲載月が10月説、11月説、12月説あり混乱していたが、『郵便報知新聞』(報知社)がもとの裁判記録を明治8(1875)年11月27日に掲載。

さらに新聞研究者の平井徳志が、東大明治新聞雑誌文庫(現、東京大学近代日本法政史料センター)で明治8年11月30日付の最終話原紙を確認。

のちに『国文学研究資料館紀要』第16号に、本田康雄教授(当時)が掲載年月日、原紙のレイアウトについて詳細に説明している。


個人的な経験だが、『読売新聞』を自宅でとり続けて半世紀がすぎた。

思い出深い新聞小説や連載に、山田風太郎『明治十手架』、司馬遼太郎『アメリカ素描』、ドナルド・キーン『私と20世紀のクロニクル』などがある。


参考

野崎左文『私の見た明治文壇』(春秋社1927年、平凡社2007年)

柳田泉『明治文学』(春秋社1936年、平凡社2005年)

『体系文学講座第6』(青木書店1956年)

平井徳志「新聞小説の一考察」『新聞研究』(日本新聞協会)1957年6月号

『明治文学全集 第1-第2』(筑摩書房1966-1967年)

高木健夫「新聞小説史1」『新聞研究』(日本新聞協会)1970年4月号

本田康雄「新聞小説の成立」『国文学研究資料館紀要』(国文学研究資料館)第16号(1990年)

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