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  • 乙原李成/Otohara Risei

弁理士岡本芳二郎(2023/7/22)

岡本芳二郎(おかもと よしじろう 1868-1942)は美作国津山出身。

津山には古くから国府が置かれ、明治4(1871)年には津山県の県庁所在地にもなった。

明治22(1889)年からドイツに留学し、4年後には法務博士(Juris Doctor)の専門資格を取得。

明治29(1896)年第一高等学校教授に任命、明治45(1912)年まで在職した。

おそらく新渡戸稲造校長のあっせんにより、第一高等学校教授のまま、南満洲鉄道株式会社就職。

明治41(1908)年から翌年にかけてドイツ、オーストリアに出張して国際連絡輸送について調査。このとき入手した文献が明治44(1911)年になって翻訳、印刷された。(『国際鉄道貨物運送協約』『国際旅客手荷物運送協約草案』)

大正2(1913)年時点で、東京支社支配人。同年発行の『朝鮮歴史地理』の奥付にも代表者と明記されている。

大正5(1916)年特許弁理士名簿登録。翌年日本工業資料株式会社(京橋区加賀町13)取締役。

日本の知的財産権法制は、旧農商務省が中心になり、明治17(1884)年にまず商標条例が制定された。

データベースがある現代と違い、既存の商標、特許、意匠、実用新案を特許公報で調べなければならない時代である。

東亜経済調査局で資料を扱った経験を、その後の活動に役立てたことが十分考えられる。

関東大震災をきっかけに、それまで住んでいた麴町区飯田町から牛込区原町に転居し、個人事務所を開業。

昭和11(1936)年には、神奈川県葉山町に転居。

昭和17(1942)年に弁理士の登録抹消が『官報』で確認できるため、この年に亡くなったようだ。


参考文献

日本弁理士協会ホームページ-弁理士とは-弁理士の歴史(令和5年7月21日閲覧)

https://www.jpaa.or.jp/patent-attorney/history/


特許庁ホームページ-特許庁について-産業財産権の歴史(令和5年7月21日閲覧)


『官報』明治29年9月9日、明治45年5月10日、大正5年7月14日、大正6年10月24日、昭和11年4月18日、昭和17年7月17日

『日本現今人名辞典』(日本現今人名辞典発行所1900年)

『職員録 明治41年甲』(印刷局1908年)

『銀行会社職員録 2版』(興業通信社1913年)

『職業別電話名簿 東京・横浜 12版』(日本商工通信社1923年)

『全日本業界人物大成 坤巻』(全日本業界人物大成刊行会1932年)

『日本紳士録 第40版』(交詢社1936年)


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