top of page
  • 乙原李成/Otohara Risei

宮武外骨の造本(2023/9/16)

宮武外骨(1867-1955)は、江戸から明治の印刷物を利用した編集著作物をさかんに世に送り出した。

明治22(1889)年、『頓智協会雑誌』第28号に、大日本帝国憲法の発布式をパロディにした記事を掲載。

不敬罪で大審院まで争ったのち、挿絵や印刷のスタッフとともに禁固刑をうけた。

さらに駅売で隔週の『滑稽新聞』を出し、社会風刺に評判をえた一方、風俗壊乱罪でたびたび官憲の注意を受けた。

それにこりたのか、雅俗文庫という自費出版社を、大阪市西区江戸堀に開いた。

大逆事件がおきた明治43(1910)年、雑誌『此花』を創刊し、うって変わって浮世絵の翻刻や江戸風俗を考証した本を出版。

部数は少なかったが、紙に越前奉書をつかい、摺師にもこだわったため、採算がとれなかったという。

さらに半狂堂という自費出版社を、上野桜木町の東京美術学校近く(のち向岡弥生町、東京帝大農学部そば)に開いた。

『面白半分』『一癖随筆』『明治奇聞』『文明開化』など次々と出版。

のちに著作集がまとめられたが、原本そのものもいまだに人気が高い。

ブログ管理人が所蔵する『川柳語彙』は大正12(1923)年末、震災でいちど焼けた版を組みなおした和装本。

文字は活版、挿絵は木版、古書の挿絵の転載に凸版を組み合わせる、手の込んだものだった。

和紙は『震災画報』にも流用されたが、それはいまでも使われる土佐半紙だった。


参考文献

宮武外骨『川柳語彙』(半狂堂1923年)

寿岳文章『和紙風土記』3版(河原書店1947年)

吉野孝雄『宮武外骨』(吉川弘文館2007年)




出典

宮武外骨『震災画報』第1冊(半狂堂1923年)


閲覧数:0回0件のコメント

最新記事

すべて表示

Comments


bottom of page