1.印刷技法の発達、2.義務教育による識字率の向上、を挙げてよいだろう。
明治6(1873)年抄紙会社創業(のちの王子製紙)、明治9(1876)年秀英舎創業(のちの大日本印刷)。
江戸時代には主流だった手すきの零細な製紙業は、大資本による近代的な製紙工場にとって代わられた。
木版と墨による製版が、明治以降金属活字と油性インクをつかう活版印刷にとって代わられた。
尋常小学校による義務教育が明治33(1900)年から4年間に、明治40(1907)年から6年間にされ、貧しい家に生まれた児童でも、最低限の教育を受けてから社会に出た。
高等教育を受ける経済力、学力があれば、男女間で差があったものの、男子は帝国大学、女子は師範学校まで進むことができた。
国公立、私立大学の前身である、専門学校令に基づく専門学校も明治末期から大正時代にかけて、都市部の人口増に伴い、数多く設立された。
メディアの発達と読者の増加は車の両輪のようなものである。
『小国民』(明治22(1889)年)、『家庭之友』(明治36(1903)年)、『講談倶楽部』(明治44(1911)年)といった大衆向けの雑誌が次々創刊され、飛ぶように売れる時代になった。
参考文献
文部科学省-我が国の義務教育制度の変遷(2023/10/6閲覧)
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/05082301/017.htm
寿岳文章『和紙風土記』3版(河原書店1947年)
小川菊松『出版興亡五十年』(誠文堂新光社1953年)
岡野他家夫『日本出版文化史』(春歩堂1959年、原書房1981年)
百瀬孝『事典昭和戦前期の日本』(吉川弘文館1990年)
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