国立国会図書館(千代田区永田町)の創設に当たり、当時の衆参両院の図書館運営委員会により中西寅雄旧蔵書の評価と購入が決められました。価格は洋書が「その当時の値段の8倍ないし9倍」、「和書は1部50円」、合計「85万円」と評価されました。『衆議院図書館運営委員会議録』には、昭和22(1947)年7月時点の井上知治(1886-1962)議員の発言として、「昨年の十月ごろだったと思います。私の親しい友人で東京帝大、今の東京大学のある有名なる教授が、私の友人を通してこの図書館に所蔵の本十幾萬冊を寄贈したいという話がありました」という記録があります。この時期に蔵書を有償で譲渡、または無償で寄贈された人物で、「東京帝大教授」は1人しか当てはまりません。
なお、井上議員と同じ大正6(1917)年に東京帝国大学法学部を卒業し、この時期貴族院議員だった井川忠雄(1893-1947)が、国立国会図書館に和書と洋書を譲渡しました。また、中西寅雄が企画院の委員をしていたとき、調査官の1人に細野孝一(1903-2001?)がいました。同じ経済学部商業学科の後輩にあたり(1932年学士試験合格)、昭和22(1947)年衆議院調査部第一課長(調査部は、衆議院図書館を所掌。)、昭和23(1948)年国立国会図書館一般考査局長になりました。この四者が連携して、旧蔵書の受け入れが決められたものと推測されます。
さかのぼること昭和21(1946)年2月から、新円切り替えが行われていました。終戦直後の物価高騰に対し、現金の流通を制限してインフレーションを抑える目的で、預金封鎖、高額紙幣の廃止、旧円を強制的に預けさせ、生活費や事業目的に限って新円での預金引き出しを認める措置でした。
国立国会図書館が最初期に収集した大型コレクションの旧蔵者には、こうした社会事情から大切な蔵書を(むろん有効活用を期待して)、手放された方も少なくなかったでしょう。なお、中西寅雄が関わった大学、関係団体等には旧蔵書を譲った形跡がなく、そのことからも生活のための有償での譲渡という推測が、一定の説得力を持ちそうです。
国立国会図書館では欧文資料は280から2072まで、日本語資料は1から1136まで登録番号を付与して、図書館資料として利用できるよう、整理をすすめました。
(ただし、「目録稿」の国会資料貼付IDではなく、各行末の請求記号をつかって請求。)
欧文資料のほとんどと、デジタルコレクションの撮影が済んだ日本語資料は、関西館(京都府相楽郡精華町)に収納されています。
中西寅雄の業績を振り返り、旧蔵書を調べると、どのように外国の知識を導入して発展させたか、その一端をうかがうことができ、興味深いものです。
参考文献
『官報』(大蔵省印刷局)昭和7年4月15日
『職員録 昭和17年7月1日現在』(内閣印刷局)
『各庁職員抄録 昭和22年』(印刷局)
『第1回国会衆議院図書館運営委員会議録』昭和22年7月12日、昭和22年10月3日、昭和22年10月10日
『国立国会図書館公報』(国立国会図書館)昭和23年5月19日
『国立国会図書館における未整理資料の現状』(国立国会図書館職員組合1965年)
『国立国会図書館三十年史』(国立国会図書館1979年)
鈴木平八郎『ツバキと馬と』(鈴木平八郎1988年)
『国立国会図書館百科』(国立国会図書館1989年(2刷))
吉原努「あの人の蔵書 中西文庫」『国立国会図書館月報』2022年12月号
日本銀行ホームページ「お金の話あれこれ(4)」(2023/5/4閲覧)
https://www.boj.or.jp/announcements/education/arekore4.htm/
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