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  • 乙原李成/Otohara Risei

チースとドイツ東洋文化研究協会(2023/5/27)

カール・チース(Karl Thiess,1870-1941)はドイツ東部の街、レーベユン„Löbejün“に生まれ、ベルリン大学とハイデルベルク大学で国家学を学んだ。

ベルリン市統計課で働きながら、1894年博士号取得。1900年からハンブルク・アメリカ郵船会社で調査業務に関わったとされる。1904年ダンツィヒ高等工業学校教授。

1908年南満洲鉄道株式会社(満鉄)に雇われ来日。ドイツ東洋文化研究協会(OAG(オーアーゲー))会員登録。

OAGに登録した滞在先は、大倉喜八郎邸の敷地内(赤坂区葵町3)だった。

満鉄では東亜経済調査局において、それまでの経歴やクレディ・リヨネで見聞きした資料組織法を日本人に指導し、執筆して翻訳させた調査報告書が伝わっている。

後藤新平文書、岡松参太郎文書、国立国会図書館デジタルコレクションなどで、「チース博士」が書いたものが、いまでも見られる。

OAGの紀要„Mitteilung“には日本の満洲政策を広報した論文が掲載(第13巻及び第14巻)されている。

滞在期間を延長し、鉄道院にも2年間雇用された。

一連の功績により、日本政府は勲三等瑞宝章を授与した。

1911年帰国、1914年からケルンに移り住んだ。

ケルン大学教授として働き、ドイツ経済が混乱した1923年から1924年まで学長„Rektor“をしたこともあった。

伊藤武雄『満鉄に生きて』では、チースは社会民主党からワイマール共和国の外務大臣になったとしているが、長谷川雄一の研究で誤りと指摘された。

東京帝国大学で経済学を教えた、ウエンチヒ(Heinrich Waentig,1870-1943)が社会民主党に所属、プロイセン州内務大臣だったのと混同されたのだろう。


参考

Universität Köln>Rektorenportraits>Karl Thiess(肖像あり)(2023年5月27日閲覧)

https://rektorenportraits.uni-koeln.de/rektoren/karl_thiess/

公益社団法人オーアーゲー・ドイツ東洋文化研究協会(2023年5月27日閲覧)

https://oag.jp/jp/

OAG Mitteilungen(2023年5月27日閲覧)

https://oag.jp/books-cat/oag-mitteilungen/


「普魯西王国休職ダンチヒ工科大学教授鉄道院雇チース、カール叙勲ノ件」(明治44年2月10日)(勲00350100)(2023年5月27日閲覧)

(国立公文書館デジタルアーカイブ)https://www.digital.archives.go.jp/item/2842309

伊藤武雄『満鉄に生きて』(勁草書房1964年、1982年)

長谷川雄一『近代日本の国際認識』(芦書房2016年)

カール・チース『チース博士の満洲開拓史』(吉原努2021年)(非売品)



カール・チース肖像(1924年 Helene von der Leyen(1874-1950)作、ケルン大学所蔵)

出典:Portrait von Karl Thiess

https://rektorenportraits.uni-koeln.de/portraits/karl_thiess/

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