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乙原李成/Otohara Risei
2024年2月23日読了時間: 2分
西郷人気(2024/2/24)
明治22(1889)年大日本帝国憲法発布と同日、西郷隆盛(1828-1877、号南洲)は特旨により、元の正三位に復した。 その直後から顕彰の出版物が続々著されることになった。 明治22(1889)年渡辺朝霞(新聞記者)『維新元勲西郷隆盛君之伝』(文事堂)...
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乙原李成/Otohara Risei
2024年2月9日読了時間: 3分
立身出世与三郎(2024/2/10)
竹越与三郎(1865-1950、号三叉)は、武蔵国本庄の造り酒屋の家に生まれた。 同人社(中村正直)、慶応義塾(福沢諭吉)に学ぶ。 明治16(1883)年新潟県柏崎、竹越家の養子に入る。 三叉の号は、故郷の川に由来するという。 明治19(1886)年霊南坂教会において受洗。...
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乙原李成/Otohara Risei
2024年2月2日読了時間: 2分
地理学者としての志賀重昴(『日本風景論』を読む)(2024/2/3)
志賀重昴(1863-1927)は岡崎藩の儒者の家に生まれた。 東京、芝新銭座の攻玉社に学んだあと、明治17(1884)年札幌農学校卒業。 海軍兵学校の遠洋航海に同乗して、太平洋の島国を見聞。 明治21(1888)年杉浦重剛(1855-1924)、三宅雪嶺(1860-1945...
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乙原李成/Otohara Risei
2024年1月26日読了時間: 3分
伝記作家としての徳富蘇峰(『吉田松陰』を読む)(2024/1/27)
徳富蘇峰(1863-1957)は熊本藩士の嫡子として、現在の熊本県水俣市に育った。本名、猪一郎。 幼少期から四書五経になじみ、維新に至り熊本洋学校入学、熊本バンドに参加。 明治9(1876)年京都の同志社に移り受洗。その中退後は東京に出て、自由民権運動を目の当たりにした。...
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乙原李成/Otohara Risei
2023年12月29日読了時間: 3分
大逆事件の衝撃(2023/12/30)
明治39(1906)年発足の社会民主党は、無政府主義の影響を受けた党員によって、分裂の危機にあったという。 雑誌『社会主義研究』創刊号に「共産党宣言」翻訳全文が掲載、クロポトキン『麺麭(パン)の略取』翻訳出版は同じ年。 さかのぼること、明治8(1875)年公布の新聞紙条例は...
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乙原李成/Otohara Risei
2023年12月22日読了時間: 2分
社会主義思想の広まり(2023/12/23)
文明開化とともに西洋の文物が取り入れられると、さまざまな政治思想も伝わった。 明治初期の自由民権運動と、社会主義または無政府主義は、同時並行で知識人の間に広まった。 『明六雑誌』(報知社)第2号(1875年3月)で、加藤弘之が「コムムニスト党」と記したのが、用語の初出とされ...
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乙原李成/Otohara Risei
2023年11月11日読了時間: 3分
東京日日新聞をめぐる人々(2023/11/11)
明治5(1872)年2月21日(旧暦)日報社が創刊。早くから鉛活字と西洋紙を使用。創刊の2年後に銀座へ移転した時、すでに8千部を売り上げたという。(『日本新聞発達史』) 戯作者条野伝平(採菊)(1832-1902)、浮世絵師落合芳幾(1833-1904)、貸本業西田伝助(1...
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乙原李成/Otohara Risei
2023年11月2日読了時間: 3分
新聞小説ことはじめ(2023/11/3)
先に引用した尾崎紅葉『金色夜叉』は、もともと『読売新聞』に連載された新聞小説のひとつだった。 新聞小説にまつわるエピソードでは、東京帝国大学・旧制一高講師を辞職して東京朝日新聞で連載をもった夏目漱石(1867-1916)が有名だろう。...
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乙原李成/Otohara Risei
2023年10月27日読了時間: 3分
言文一致に貢献した人々(2023/10/28)
「貫一は力無げに宮の手を執れり。宮は涙に汚れたる男の顔をいと懇(ねんごろ)に拭(ぬぐ)ひたり。 「吁(ああ)、宮(みい)さんかうして二人が一処に居るのも今夜ぎりだ。お前が僕の介抱をしてくれるのも今夜ぎり、僕がお前に物を言ふのも今夜ぎりだよ。...
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2023年10月20日読了時間: 2分
博文館の衰退、三菱との比較から(2023/10/21)
明治20(1887)年創業した出版界の雄、雑誌『太陽』や『新青年』で知られた博文館が、昭和の代に入ると見る影もなく衰退。 太平洋戦争敗戦後に分社化した理由のひとつに、三代目館主の大橋進一(1885-1959)の経営能力不足と、それをサポートできる人材に恵まれなかったのが原因...
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乙原李成/Otohara Risei
2023年10月13日読了時間: 2分
明治期の伝道史考察(2023/10/14)
グーテンベルク聖書を引き合いにするまでもなく、布教と出版は深い関わりがある。 同じイエス・キリストを信仰の対象としながら、教義が異なるカトリックとプロテスタントは、開国後の日本人にはおおむね同等に受け入れられたといえる。...
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乙原李成/Otohara Risei
2023年10月6日読了時間: 1分
出版文化の普及の要因(2023/10/7)
1.印刷技法の発達、2.義務教育による識字率の向上、を挙げてよいだろう。 明治6(1873)年抄紙会社創業(のちの王子製紙)、明治9(1876)年秀英舎創業(のちの大日本印刷)。 江戸時代には主流だった手すきの零細な製紙業は、大資本による近代的な製紙工場にとって代わられた。...
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2023年9月22日読了時間: 2分
内田魯庵以前の丸善(2023/9/23)
丸善といえば、丸善とジュンク堂が合併したいまでも、国内有数の洋書専門店というイメージがある。(ちなみに、紀伊國屋書店は昭和2(1927)年創業。) 雑誌『学鐙』(『学燈』とも、明治30(1897)年3月創刊)を愛読した思い出をお持ちの方もいるかもしれない。...
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乙原李成/Otohara Risei
2023年9月15日読了時間: 2分
宮武外骨の造本(2023/9/16)
宮武外骨(1867-1955)は、江戸から明治の印刷物を利用した編集著作物をさかんに世に送り出した。 明治22(1889)年、『頓智協会雑誌』第28号に、大日本帝国憲法の発布式をパロディにした記事を掲載。 不敬罪で大審院まで争ったのち、挿絵や印刷のスタッフとともに禁固刑をう...
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2023年9月8日読了時間: 2分
吉野作造の収書(2023/9/9)
吉野作造(1878-1933)といえば「大正デモクラシー」、というくらい、壮年期には本業の大学教授の仕事のほか、いわゆる「民本主義」に関する数多くの執筆、講演をこなした。 40歳(1918年)のときの年間講演回数が38件41回あり、総収入13,989円5銭。帝大教授としての...
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乙原李成/Otohara Risei
2023年9月2日読了時間: 2分
関東大震災で失われたもの(2023/9/2)
大正12(1923)年9月1日正午少し前、相模湾を震源域とした推定マグニチュード7.9の地震が発生。 続く余震と火災により、震源に近い神奈川県各地と旧東京市内に甚大な被害を及ぼした。 本所被服廠跡での死者約3万8千人、横浜港や外国人居留地の焼失、鎌倉の津波、根府川駅での土砂...
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乙原李成/Otohara Risei
2023年8月25日読了時間: 2分
明治文化研究会(2023/8/26)
大正13(1924)年11月発足。 東京市京橋区尾張町、福永書店に事務局を置いた。 「明治初期以来の社会萬般の事相を研究し、之れを我が國民史の資料として發表すること。」(『新旧時代』1925年2月号)を目的とした。 発足時は以下の会員がいた。(生年順)...
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乙原李成/Otohara Risei
2023年8月18日読了時間: 2分
明治大正の出版文化(2023/8/19)
明治文化研究会という好事家の集まりがかつてあった。大学教授から出版業、古書に一家言もつ人々が江戸明治期の文献を買い集めては復刻し、考証やエッセイを書いては自ら雑誌を創刊、発表の場をつくった。 吉野作造(1878-1933)や宮武外骨(1867-1955)の名はいまでも知られ...
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